枉北道きたにまがれるみちルート

 枉北道きたにまがれるみちと考えられるルートを地形図に描いてみました。
 『出雲國風土記』に「出雲国庁、意宇郡家の北で道は正西道まにしのみち枉北道きたにまがれるみちに分かれて二つの道となる」と記され、正西道は古代山陰道のことで、枉北道は島根半島から隠岐へ続く道です。
 ルートは概ね、国庁跡から朝酌渡までは「出雲国府周辺の復元研究」により、下東川津町までは中村太一氏により、以北のルートについては服部旦氏にそって描きました。福原町で発掘された芝原遺跡の付近に島根郡家が想定されています。
参考図書:『出雲国風土記』の方位・里程記載と古代道路(「出雲古代史研究第2号」中村太一)、『出雲国風土記』島根郡家の比定―瀬崎戌の比定と古道の"復元"を手がかりとして―(「大妻女子大学文学部紀要」 服部旦)、『出雲国風土記』島根郡家の比定―千酌駅家湊・千酌駅家の比定と通道の"復元"を通して―(「山陰史談21号」 服部旦)、「芝原遺跡」(松江市教育委員会1989)、「出雲国府周辺の復元研究」(島根県古代文化センター2009)

 枉北道を実際に歩いた記録はこちらです。 松江の歴史の径を歩く