一畑中道を歩く(3)(再確認)




2016年3月12日(土) 一畑中道を歩く(再確認)
 2月4日、18日に歩いた一畑中道の見落とした町石やルートを外れていた場所の再確認に出かけました。

 西長江町から秋鹿町へ越えたところの道路脇にある地蔵祠は先日写しませんでしたが、中には町石がありました。

 先日は三栗屋池の脇を真っすぐ進み急坂を農道に抜けてしまいましたが、その後に見つけた六十八丁町石の位置から考えて、池から山を越えて道があるはずです。今回確認すると、池の脇の道の中ほどに町石があり、そこから左へと山へ入る道がありました。山道には町石もあり間違いないようです。峠を越えた平場からは踏み跡が斜面を右へ下りて農道へ続いていました。しかし、これでは六十八丁町石と結ばれないので、平場を直進し茨をかき分け藪の中を左下へ向かうとすぐに墓地があり、その先に町石が見えました。

 岡本町の廻田池の六十五丁町石から山へ入り100mほど行くと六十四丁とはっきり読める町石がありました。こんなわかりやすい場所にある町石を先日は見落としていたようです。

 大垣町布川の六十二丁町石から道を上り、舗装道路の終点にある山道との十字路の角に町石が土に埋もれるようにありました。これが六十一丁町石と思われます。六十丁町石を過ぎて、他のサイトで六十丁町石から100mほど行ったところにあるとされる五十九丁町石を探しますが、何度往復しても見つかりませんでした。他サイトの画像を比べてみると、六十丁町石から200mくらい離れた場所の町石ではないかと思われます。五十七丁から六十三丁までは番号と距離が合っていないような気がする。

 大垣町から上大野町への途中の「高野山久兵ヱ塔」から先へ進んで、畑の入口の左に町石がありました。また次の町石は四十八丁と読めるので、先ほどの町石は四十九丁のようです。先日、公民館でいただいた「一畑中道の栞」には、大垣町と上大野町との境界に四十七丁町石が二体の地蔵石仏を伴ってあるとのことですが、見つかりませんでした。

 一畑薬師に石段の参道を上がってからの帰り道で、四丁町石の脇から竹林の中へ進む道があるので様子をみることにしました。しばらくは林内の歩きやすい道が続き、五丁町石の先を右へ曲がると民家の後の空き地となり、道が不明になりました。民家の後に沿って進むと右手に林に入っていく道が続いていました。小さな木の根もとに町石が、六丁町石と思われます。この先は道が2本に分かれているようで、どちらも荒れた竹林へ伸びています。左の竹林を進むと人家が見えるので、これは違うようです。右の道を進むと荒れた竹林に溝のようになった古い道が下がっていました。竹の間をくぐったり、すり抜けたりして進むと、先日、七丁町石から入り、行けないと諦めた場所に出てきました。先日は七丁町石は倒れていましたが、今日はきれいに立ててありました。

 出雲市野郷町堂の本あたりのルートも不確かなものがあり、また町石も写しきっていないので、またの機会に訪ねてみようと思います。

西長江町灘組
道標からの突き当りの林内にある薬師堂。
古い壊れた地蔵があり、
八十七丁町石があるという。
秋鹿町井神
道路脇の地蔵祠の中にある八十丁町石。

地蔵祠。 秋鹿町本谷三栗屋池
池の脇道の中ほどにある町石。
七十丁と読める。

町石から左に山へ上がる道がある。 少し荒れた山道。 六十九丁町石。

すぐ近くにあったもう一体の町石。 峠を越えると右は農道へ下りるが、
真っ直ぐ藪の中を左へ行くと墓地へでる。

岡本町
墓地の入口に町石が見える。
(手前に墓地がある。)
墓地の入口にある六十八丁町石。
(再掲)
農道へ出てくる場所。

大垣町布川
廻田池近くの六十五丁町石。(再掲)
六十四丁町石。

大垣町布川
六十二丁町石から上がったところの十字路の
角にある六十一丁町石?。

六十丁町石から約200m進んだところの町石
五十九か五十八と思われる。
大垣町上寄
中央堂の入り口にある地蔵(五十五丁)
(再掲)

中央堂からの眺望。 「高野山久兵ヱ塔」から進んだ
畑の入口左にある四十九丁町石。

四十八丁と読める。(再掲) 上大野町土居
町へ下りる手前の道路脇の高い所にある。

一畑薬師石段参道。ここから1270段。 あと840段。

あと564段。 あと142段。 一畑薬師からの眺望。

道路下の四丁町石、竹林を下ってみる。
(再掲)
五丁町石。

ここから右へと曲がり、人家の後に沿って
進み竹林に入る。
竹林手前にある六丁町石。

荒れた竹林内を進む。 竹林内を2分ほど進むと出口が見える。 舗装道路に下りてくる。

七丁町石、先日は倒れていた。(再掲) 出てきた竹林内を振り返る。 舗装道路からの取り付き。

嵩山(左)、和久羅山(右)。 京羅木山(左)、星上山(右)。 朝日山。

大平山。 地 図