松田左近妻女の五輪塔遺牌まつださこんさいじょのごりんとういはい



 坂本町の道路脇の田圃の奥に、白い標柱があり、その脇に壊れた五輪塔の一部が残っています。標柱は最近立てられたそうです。

 「永禄6年(1563)8月尼子晴久の妹婿松田左近将監誠保が守る尼子支城十旗の随一白鹿城は落城したという。・・・巷間伝承では、白鹿落城で城主松田左近は隠岐に逃れんとして福原旭森近くで自刃したとして、この地を最後峠というとか、妻女は太田辺り、あるいは坂本堀ノ内辺りで毛利軍に討たれたなどの文献外の伝説がある。・・・妻女の討たれたとする坂本堀ノ内には五輪塔の一部が遺存するし、・・・。また、古来この近辺では時々武具、人骨の破片が出土するとの証言もあり、当時戦闘が行われたところかも知れない。」(ふるさと持田の彩)


田圃の奥に標柱がある。 壊れた五輪塔の一部




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