賀茂神社跡・薬師堂かもじんじゃあと・やくしどう



 西持田町和田下の集会所「待鳴館」の敷地に狛犬1対が杉の古木のたもとに残っています。現在は、持田神社に合祀されています。神社跡の隣接する敷地に薬師堂があります。

 「賀茂神社跡 この神社跡は、西持田町和田賀茂池に隣接する北の高台にある。賀茂神社は、その昔、松平氏入国の際、京都に倣って松江城より東北の方位に祭られたと伝えられる。祭神は(別雷命、木花開邪姫命)であり、明治6年(1873)丸山神社と若宮神社を合祭、明治41年(1908)7月、持田神社に合祀となる。神社跡は閑静な高台にあって、744平方mの広さで、一本の杉の古木と一対の唐獅子が、わずかに往時の名残りをとどめている。」
「薬師堂 この薬師堂は賀茂神社跡西隣にあり、昔、この後方にかけて敷地のあった開見山安養寺に所属したといわれる。この寺も明治維新前に廃寺となり、薬師堂のみが現存している。・・・堂内には恵心僧都の作と伝えられる薬師如来の座像(等身より大)が、日光菩薩、月光菩薩、12神将の木像に護られて安置されている。」(ふるさと持田の彩)


西持田町
溜め池跡の北の台地にある。


狛犬が1対残っている。



隣接地の薬師堂

薬師如来座像







松江の山を歩く