枡形山ますがたやま



 坂本町の安養寺前から東へ下り、橋を渡ってすぐ右の小さな道を入ります。曲がってすぐ左の山にある旧道を入ると丘のピークに高さ1メートル位の土塁が続いているのが見えます。土塁の切れ目から中に入ると、1辺約20mの四角形の土塁に囲まれているのがわかります。所在地の地番は福原町になるようです。

 「正しくは福原山林上毛頭原850番辺りに在る。古くからこの辺りのかなり広い低丘陵地を毛頭原(ケタバラ)と呼ばれている。枡形山は「人量り場」ともいわれ、東西長方形の高さ2メートル余の土塁に囲まれた区画で、未だほとんど手つかずの遺構である。何の目的のためのものか諸説があり、一部の郷土史家は中世豪族の居館跡とか、また古代史にいわれる大和朝廷と渤海国(満州)の国交があった頃、一時期、渤海使節が入朝を拒まれ出雲国島根郡に約半年間滞留したとの史実に基づき、近くに郡衙の参考地もあり、更に地名の毛頭原などとこね合わせて使節居館の遺構、・・・などの説がある。」(ふるさと持田の彩)
 「坂本館跡 南に延びた低丘陵上に方形の土塁があります。東西24m、南北22m、高さ1m、底幅2.7m、上幅0.8mを測り、西部中央部は幅2mにわたり途切れており、出入り口と考えられます。」(里の息吹)


橋を渡り、右折する。 すぐに左の山へ入る。 土塁が見えてくる。

四角形の土塁に囲まれている。



松江の山を歩く