松田左近妻女の墓まつださこんさいじょのはか



 東持田町の持田小学校前から北へ進むと、左手にポンプ場が見えてきます。この建物の手前のあぜ道の向こうに見える木の根元に墓があるということです。あぜ道を川まで進みますが、土手は垂直で、川の流れは多くはないものの、そのままでは渡れそうにありません。川の上下を探すと、少し下流に流れが浅くなり、飛び石伝いに渡れそうな場所がありました。垂直の土手にも途中に段差があり、下りることができました。流れの縁を歩いて、あぜ道の正面の土手に行くと、土手は草薮になって、登るのに一旦躊躇しました。何とか藪の中を土手に上がり、枯れ草をかき分けると、大きな木の前に、「松田左近妻女の墓」と書かれた標柱が立っていました。これは、最近建てられたそうです。枝葉に隠れた木の根元の見ると、横の方に上部の欠けた五輪塔が残っていました。

 「一級河川持田川を挟み、持田小学校前方の東持田町1,129番地田の中に、お墓という五輪の石塔があり、これが松田左近妻女の墓と伝えられる。永禄年間(18世紀中頃)、白鹿落城のとき、ここで敵手にかかったか、自害したのか定かでない。」(ふるさと持田の彩り)


あぜ道の先の木の根元にある。 川を渡る。 木の前に標柱がある。

「松田左近妻女の墓」 上部の欠けたれた五輪塔



松江の山を歩く