長慶寺・澄水寺観音堂・秋葉権現・天満宮跡・狗塚ちょうけいじ・ちょうすいじかんのんどう・あきばごんげん・てんまんぐうあと・いぬつか



 長慶寺は福原町の集落内にあり、境内に澄水山にあった澄水寺観音堂が移築されています。また境内には秋葉権現が祀られ、観音堂の後ろの山には、天満宮がありましたが、明治44年に虫野神社に合祀されています。境内の入口には鷹狩の際に死んだとされる犬を祀った狗塚があります。

 [長慶寺] 「本尊は十一面千手観音で、高さは31センチの小仏だが、平安時代の有名な仏師、定朝の作といわれている。この寺は曹洞宗静安寺(本庄)の末寺で慶長2年(1597)の3月、静安寺4世、少堂盛林和尚が開祖となっている。享保3年(1718)10月21日に堂宇全焼し、この火事で法器古証等一切を灰燼となした。それから196年後の寛政4年(1792)に再建された。
 [秋葉権現] 長慶寺の境内に祭祀、毎年1月18日、下組中組の講中にて供養祭祀が行われている。
 [澄水寺観音堂] 澄水寺は山号を清水山(※1)といい、かつては標高507.3mの澄水山頂にあったが、明治6年(1873)、現在の長慶寺境内に遷された。
 [天満宮跡] 天満宮は当初長慶寺裏の天神山に祭祀されていたが、明治44年(1911)、新宮神社と共に虫野神社に合祀され、毎年7月25日が祭礼日になっている。天文23年(1554)建立の棟札がある。
 [狗塚] 明暦年中、松江藩主松平直政公鷹狩の際、飼い犬「弥十良」が狩猟のお供に従い、当時の福原に来たとき野獣と闘って死んだため、長慶寺境内の入口に埋葬され、狗塚というお墓を建て、その供養料として藩公より上田3反6畝歩を寄進せられた。」(ふるさと持田の彩)
※1 観音堂には「不老山」と記されている。


長慶寺 澄水寺観音堂 秋葉権現

天満宮跡 狗塚



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