持田の太郎兵衛住居跡もちだのたろべいじゅうきょあと



 西持田町の和田上地区にあったようだが、全く位置がわからないので、地元の方に尋ねると、「あの家のところが以前は竹藪で、大きな椿の木があった。字名は『森山』という。」とのことでした。今は、住宅が建ち、竹藪も椿の大木もなくなって、その痕跡はありませんでした。

 「江戸中期元禄の頃(約300年前)、森山太郎兵衛は江戸城において、出雲の殿様の期待にそって相撲をとったところ、持ち前の気転をきかせ、江戸の大力士を投げとばした功績で庄屋の役職を与えられ、西餅田和田に大邸宅を建て、倉庫も10棟余、大きな門構えの生活に入った。・・・現在、西持田町和田上にある俗称庄屋畑は、森山太郎兵衛の屋敷跡で、現に台帳面も『字森山』とあるのがそれである。付近には・・・竹藪に八千代の齢を誇る老木の椿があり、往時の夢を秘めて今も美しい花をつけている。・・・この太郎兵衛も風紀粛正にふれ、・・・伯耆大山の赤松に身をかくし、」(ふるさと持田の彩り)


住宅が建ち、その痕跡はない。



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