歴史の道 嵩道(ガラガラ橋〜鳥居)




2018年12月9日(水) 歴史の道 嵩道(ガラガラ橋〜鳥居)
 江戸時代に使われていた嵩山山頂の布自伎美神社へ参拝するための参道で、嵩道と呼ばれていたようです。
 大正時代の地形図には、ガラガラ橋を渡ってから、2つの道が記されていて、直線コースとして橋本集落から丘を越えて進むのではないかと思われますが、丘の上は団地の開発で昔の道もなくなっているので、丘の裾野をまわる道を通りました。古い地形図の道に合うように、細い道を選びながら、児童相談所の下を通って学園台団地に進みました。国道を渡って、ニュー学園台に入ってすぐの公園の手前を左へ入ると、公園の横に下の溜池跡に下りる小さな坂道が作ってありました。坂道を下って、水路の脇を右へ上がると、溜池の土手を通って、大内谷から養護学校へ抜ける道に出てきました。古い地形図ではここからまっすぐ山を越えて進んでいますが、道が見当たらなかったので、溜池跡に沿って進んで、新しくできたニュー学園台方面からの道に交わりました。
 十字路を左折し、山を越えて祖子分の谷へ入り、また山を越えだんだん道路のトンネルを潜ります。そこからまた林内へ進むと、コンクリート製の電柱の脇から、山へ向かって伸びる径があります。山中に広い径が続き、所々に踏み石が残っていて、また峠にはお地蔵様が並んでいたりするので、この径で間違いないようです。
 山を越えて舗装道路に下りると、目の前に嵩山が見え、バス停「中組」から参道入口の鳥居はもうすぐです。

ガラガラ橋を南東へ渡る。橋名板「加羅加羅橋」
橋を渡って直進する。

分岐を左折する。左折した通りから小路へ左折する。
通りへ出て、直進する。

児童相談所の下を通る。正面が嵩山。左の小路へ入る。通りの向かいの小路から調整池へ上がる。

調整池から街路を左折する。学園台の街路を進む。この先、国道を渡る。

ニュー学園台の公園を左折する。公園横の小さな坂道を下り、右折する。溜め池跡の土手を進む。

大内谷の道に合流し、右折する。十字路を左折する。道は山へ向かう。

峠を越えていく。祖子分の谷へ下りる。
谷の奥に四季が丘団地が見える。

林内の峠を越える。峠を越え、だんだん道路のトンネルを潜る。
林内へ道が進む。

電柱の脇から山へ向かって小径がある。広い径が続いている。

所々に踏み石が残っている。峠にお地蔵様が並んでいる。

舗装道路に出てきた。右の斜面から下りてきた。嵩山が見える。

バス路線、バス停「中組」。布自伎美神社参道へ。大きな石灯籠がある。

右端に参道入口の鳥居が見える。鳥居の手前の道脇にお地蔵様が並んでいる。

参道入口、鳥居の右足元に道標がある。道標「左しまね札○、右だけみち」最下の文字が不明(所か?)

鳥居の近くにある本覚寺島根札第18番観音堂

大正7年発行旧版地図昭和31年発行旧版地図

2019年2月5日(火) 歴史の道 嵩道
 12月19日に歩いた嵩道のなかで、西川津町の団地を抜けて、元溜池の土手道が大内谷からの道と合流したあと山を越えているところを確認していなかった。今回、畑の中から山越えの道へ入ると、最初は笹も刈られて、広い径が確認できるが、次第に笹が密生し、ピークあたりでは藪となって径らしきものが確認できなかった。現道の峠は切り通しとなっており、旧道の分岐部分は切り通しの中に取り込まれてしまっているのかもしれません。現道に沿って林内を下がってみましたが、径らしきものはありませんでした。

西川津町
元溜池から畑の中を行く。
途中までは笹が刈られている。山の上部は笹が生えるが径の痕跡がある。

更に上部は藪となって径も不明になる。下東川津町
峠を越えて山林内を下りる。

下東川津町
植林地から出てきたところ。


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