歴史の道 「松江杵築往還」 出雲市美野町伊野灘〜園町布崎苅藻谷 |
2019年11月16日(水) | 歴史の道 「松江杵築往還」 出雲市美野町伊野灘〜園町布崎苅藻谷 |
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今日は、「松江杵築往還」を、美野町伊野灘の西灘〜園町布崎の苅藻谷までの約4kmを歩きました。 出雲市美野町の旧県道から美野市道1踏切を渡り国道へ出て、西へ500mほど行ったところから往還は山へ入ったようですが、それらしき痕跡は見つかりませんでした。その後、往還は山の中を西へ進み、胡麻谷の入口に下りたということですが、ここも線路敷設により削られてしまったということです。胡麻谷踏切の近くに山から下りてくる径があり、上がってみましたが、墓地の脇を過ぎると径もはっきりせず、130mほど行ったところで、密生した竹藪で進めなくなりました。 踏切に帰り、国道に沿った民家の並ぶ旧県道を西へ進むと、道路脇に一丁地蔵とは形の違う大きな石地蔵が立っていました。100mほど行くと小境川の橋を渡り、県道23号斐川一畑大社線と交差し、斜め右へ旧道を上がって行きます。 旧道へ入るとすぐ左側に石地蔵が3体並んでおり、また50mほど行くと2体の石地蔵が立っています。この2体の石地蔵は一畑薬師への一丁地蔵ということです。この石地蔵から径が西へ分岐し、往還は小川に架かる橋を渡って山へ入ったということで、北に進む道は一畑薬師へと向かっていました。小さな橋を渡って丘の上に上がり、畑の奥へ入ってみましたが、薮となって径らしきものは見当たりませんでした。 交差点に帰り、旧県道を進んで行きますが、500m弱西へ進むと、線路高架下を潜って道があり、中国自然歩道と案内標識がありました。道を上がったところは元東小学校の跡地で、今は住宅が建っています。ここの中国自然歩道は山の上にある「県立青少年の家」をスタート地点とする「宍道湖西岸モデルコース」のようです。この小学校跡地の東から山へ上がる径があり、たどってみると山の中に石段があり、石段の上には何かのコンクリート製の構造物がありました。昔の小学校の施設なのでしょうか。さらに山を上がると「県立青少年の家」がありますが、東へ向かう山の中の径はわかりませんでした。 小学校跡地へ帰り、西側の山を見ると、細い径があり、上がってみると、はっきりりした踏み跡が上がっていますが、どうも頂上へ向かっているようなので、元の国道へ引き返しました。 西へ400mほど進むと、高架となる国道の下を通って旧県道が分かれます。旧県道は鹿苑寺灘集落に入り、往還は線路の上の丘にある墓地を下がってきたとされます。墓地へ上がってみると、弘法大師堂があり、その前から集落へ向かって径が下がっていました。 墓地から下がった径は、民家と線路の間を通り、その先は線路に取り込まれて、田んぼの中を通っていったようなので、左へ曲がって小さな踏切を渡り、旧県道へ出ました。 旧県道を西へ250mほど進むと、鹿苑寺町と園町との境の境川を渡ります。境川を渡り家並みの間を進むと、家並みが切れたところで、旧県道は線路を渡って北へ曲がったということですが、現在は踏切が廃止され道は切れています。線路で切られた旧県道は、線路の向こうで国道へ向かって伸びています。 道が切れたところの少し手前の線路向こうに小さなお堂があり、国道から径がつけてありました。江戸時代に西国三十三所観音を勧請して作られた寺ということです。 往還は国道を斜めに進み山へ入ったということですが、斜め正面の家の間に山へ上る径が見えました。坂の上には墓地があり、その脇から竹林に径が伸びていますが、密生した竹林に西への径は見つけられませんでした。国道へ帰り、250mほど西へ向かうと合ケ谷というバス停があり、近くに「合ケ谷生活改善センター」がありました。 生活改善センターの前からの径を入ってみると、東の山から下りてくる径がありました。山へ入ってみると墓地の脇から踏み跡がありましたが、途中から薮となって進めず、引き返しました。山から引き返し、民家の間を西へ進むと、北進する道と交差し、正面の山へ向かって径が上がっていました。径を上がっていくと、フェンスに沿った径があり、眼下に平野の中を走る一畑電車の線路が一望でき、電車を写すポイントになっているようです。 やがて径は竹林の中に続く広い径になりました。幅が3m以上あり、両側にコンクリート製の側溝が作ってあるので、県道が整備されるまでは、主要道として使われていたように思われます。広い径は峠まで上がると、舗装道路に合流し、その合流地点にお堂があり、「日蓮堂」と呼ばれているそうです。峠からは舗装道路になり、下って行くと往還大池と呼ばれる池があり、池に沿って下がって行くと布崎の苅藻谷に出てきました。北進する道と交差し、往還はこの先また山へ向かっていきます。 |
美野町 一畑電車「伊野灘駅」 |
美野市道1踏切を渡り国道を進む。 |
道路脇に壊れた石地蔵があった。 |
美野町 この辺りから往還は山へ入った。 |
往還は山の中を通っていた。 |
この先の踏切辺に下りていた。 |
小境町 胡麻谷踏切に山からの径がある。 |
径を130m上がると竹林で通れない。 |
踏切に引き返す。 |
小境町 踏切を渡り旧県道を西へ向かう。 |
道路脇に石地蔵が祀られている。 |
小境川を渡る。 |
小境町 小境川の上流方向 |
県道23と交差し、斜め右の旧道へ入る。 |
旧道へ入ったところに石地蔵がある。 |
小境町 旧道を上がる。 |
小川の橋のたもとに石地蔵がある。 |
一畑薬師への一丁地蔵とされる。 |
小境町 橋を渡り丘の上に向かう。 |
畑の奥に向かう。 |
畑の奥は薮となって径がない。 |
小境町 交差点に帰り、旧県道を西へ向かう。 |
国道に合流する。 |
道路脇の上に小祠がある。 |
小境町 線路脇の小祠 |
線路高架下から自然歩道入り口を入る。 |
東小学校跡地 |
小境町 跡地の東の林内へ径がある。 |
笹が刈られてる。 |
石段がある。 |
小境町 石段の上に何か構造物がある。 |
山を上がると「青少年の家」に出た。 |
小学校跡へ帰り、西の山へ入る。 |
小境町 竹林内に踏み跡がある。 |
径は頂上へ向かうようなので引き返す。 |
鹿苑寺町鹿苑寺灘 国道へ帰り、西へ向かう。 |
鹿苑寺町鹿苑寺灘 旧県道が分かれる。 |
往還は線路向こうの墓地を通った。 |
墓地に弘法大師堂があった。 |
鹿苑寺町鹿苑寺灘 お堂の前から径が下がる。 |
民家の前に径がある。 |
往還は線路の中へ消え、踏切を渡る。 |
鹿苑寺町鹿苑寺灘 民家の間から旧県道へ出る。 |
旧県道を西へ向かう。 |
境川を渡る。 |
園町園灘 境川の河口方向 |
境川の上流方向 |
往還は線路を渡って北へ向かった。 |
園町園灘 線路の向こうに道が続いている。 |
少し手前の線路向こうにお堂がある。 |
国道から下におりた場所にある。 |
園町園灘 観音堂 |
お堂の内部 |
一畑電車「園駅」 |
出雲高野山倉留寺 |
園町園灘 倉留寺境内 石地蔵が無数に並べてある。 |
線路を越えた道は国道へ向かう。 |
国道を越え、民家の間に山への径がある。 |
園町園灘 坂道を上がる。 |
墓地から奥へ径がある。 |
竹林の中に径が見えず、引き返す。 |
園町園灘 国道を西へ向かう。 |
園町合ケ谷 生活改善センターの奥に山への径がある。 |
山から引き返し、下りてきた径。 |
園町合ケ谷 民家の間を抜けると、山への径がある。 |
はっきりした径が続いている。 |
フェンス沿いに径がある。 |
園町布崎 竹林内に広い径が続く。 |
広い道には側溝が作られている。 |
園町布崎 コンクリート製の溝に丸木橋がある。 |
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峠で舗装道路に合流する。 |
園町布崎 峠にある日蓮堂。 |
峠を越えて西へ向かう。 |
峠を下がり、往還大池に沿って行く。 |
園町布崎 池から苅藻谷に下り、また山へ向かう。 |
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