歴史の道 「松江杵築往還」 出雲市大社町菱根〜出雲大社〜稲佐




2019年12月10日(土) 歴史の道 「松江杵築往還」 出雲市大社町菱根〜出雲大社〜稲佐
 今日は、「松江杵築往還」を、出雲市大社町菱根〜出雲大社〜稲佐までの約4kmを歩きました。だんだん出発地が遠くなるので、今回も一畑電車で浜山公園北口駅まで行き、大社町菱根から西へ歩きました。

 浜山公園北口駅の東の道路脇に小さなお堂があり、鑓ヶ崎弘法大師堂の縁起を書いた銘板がつけてありました。またその裏には「社稷しゃしょく神」(社日さん)と刻まれた石碑が立っていました。また、北へ300mほど離れたところにも小さな大師堂が建っていました。この祠には「四国八十八ヶ所 第五十番札所 東山繁多寺 弘法大師」(繁多寺は松山にある真言宗寺院)と書かれた木札が貼ってあり、駅近くの大師堂縁起に書かれた「松山の真言宗寺院」と通じるところがある。

 先日11月30日に菱根の関所跡を見るために往還を離れたT字路から西へ向かって出発しました。ここから大社町の修理免という地区に入りますが、この地名は江戸時代に出雲大社の修理をすることで、租税が免除されたことに由来するとのことです。T字路から800mほど進み、100mほど北へ入って、西へ100mほど行くと、西原荒神社があります。素戔嗚命他3神を祭神とし亨保二十年(1735)に産土社として創建されました。荒神社から150mほど北に行くと乙見社があります。祭神は下照比売命で、出雲大社の摂社ということです。ここから西へ細い道を入った右手の堀川沿いに乙見温泉があったそうですが、昭和20年に廃止されています。乙見温泉は明治45年に発見されたもので、吊橋で大社から通えたそうで、対岸の堀川沿いに吊橋の橋脚の跡だけが残っています。

 往還へ帰って、少し行くと右手に明源寺があり、寺から約300mで堀川に架かる神光寺橋を渡ると、杵築南になります。ここから出雲大社参道(神門通り)に向かって一直線に道が伸び、新馬場通りと呼ばれています。天保六年(1835)以前は、橋から100mのところから、右へ斜めに道が伸び、勢溜せいだまりに向かっていたそうで、旧馬場通り と呼ばれています。現在は神光寺への参道から分かれて、勢溜に向かって細い路地があります。寺の参道から分かれるところの反対側に、民家に続くような路地があり、また空中写真を見ると、建物が斜めになっているものがあり、これが旧道の名残なのかと思ったりします。細い路地は墓地の脇を進んで、民家の脇から勢溜に出ることができました。

 元の新馬場通りへ帰り、まっすぐ進むと参道へ出て、勢溜に上がります。現在の出雲大社へ向かう南北の「神門通り」は、明治45年(1912)に国鉄大社駅の開通に伴って作られた道だそうです。

 勢溜から西向かって「神迎の道」と呼ばれる道を西へ向かうと300mほどで越峠こえど荒神社があり、このあたりが一番賑わったところだそうです。神社から100mほど行くと、四つ角と呼ばれる交差点があります。変則の長い交差点で、逆向きのT字路がふたつ繋がったような形状です。古くは四つの街道が集まる場所だったことから、四つ角と名前が変わったようです。四つ角から立小路を通り、200mほど行くと右手に乗光寺があります。庭に樹齢500年以上といわれるイチョウの巨木があり、出雲市の天然記念物に指定されています。今日は黄色い落ち葉が庭一面に敷き詰められて、幻想的な別世界を作っていました。

 乗光寺から約200mほど行くと浜四つ角があり、往還は右へ曲がりますが、まっすぐ海岸へ向かってみました。永徳寺坂を下って国道431号を渡ると、道路沿いに石灯籠が2基立っています。永徳寺坂下の大燈籠と呼ばれ、初代は明治29年(1896)に作られ、その後移設・新設され、3代目になるそうで、初代の台座が残されていました。少し西へ向かった海岸は稲佐の浜で、かっては「沖の御前」と呼ばれた弁天島も今は陸続きになっています。

 浜四つ角へ引き返し、往還は北へ向かって進み、養命寺の入口から左折し、約90mほどで北へ向かいます。安養寺前から左へ回り、すぐ路地を北へ進むと国道431号へ出てきます。 養命寺は出雲観音霊場第二番札所となっています。安養寺には、阿国ゆかりの遺品が移され、彼女の念持仏三十三体の観音菩薩のうち二体、愛用の鏡と数珠が伝えられているそうです。

 国道へ出て奉納山入口から西へ、往還は70mほど国道に取り込まれています。右へ曲がった角には出雲大社末社の大歳社がありました。大歳社から150mほど路地を進むと、上の宮かみのみや(仮の宮)があります。ここは神在祭の時に神々が会議をする場所だそうです。路地を少し進むと三叉路の角に下の宮しものみやがあり、右折し200mほどで屏風岩があります。この岩陰で大国主命が「国譲り」の話しをされたと言われています。さらに180mほど奥へ進むと長谷寺の山門があります。長谷寺の本尊は十一面観音で、出雲観音霊場第一番札所のお寺です。山門の手前から山へ向かって径が伸びており、日御碕への登山道があるようです。多分この径が資料にある籠立場へのもう一本の道と思われます。

 寺から少し引き返したところに鳥居があり、奥まったところに因佐いなさ神社(伊奈佐乃社)があります。資料によると「神社の横から西に向かう道が分かれて」とあり、川と民家の間を歩くと、会社の敷地内に入ってしまいました。会社の方に尋ねても、道はないとのことなので、ここは不明です。国道へ出たところに、民宿「関屋」があり、ここが関所の跡のようです。往還はここから山へ上がったということですが、急峻な崖があるのみで、径は今ではないようです。

 とりあえず今回で、出雲大社までの「杵築往還」は確認できたので、これ以西の日御碕へのルートは今後の課題にします。  

大社町鑓ヶ崎
浜山公園北口駅近くの大師堂

大師堂由緒書

大師堂裏にある社稷しゃしょく神の石碑

大社町鑓ヶ崎
道路脇の大師堂
大社町修理免
T字路から約60m

T字路から約400m

大社町修理免
T字路から約800m

西原荒神社

大社町修理免
西原荒神社本殿

乙見社

大社町修理免
明源寺

明源寺から約50m

神光寺橋を渡る。

大社町杵築南
堀川の北方向

堀川の南方向、大鳥居が見える。

乙見温泉の吊橋跡

大社町杵築南

新馬場通り

神光寺入口

大社町杵築南
往還は左へ、正面が神光寺。

角の反対側に道の跡か?

神光寺へ

大社町杵築南
神光寺


旧馬場通りを上がる。

大社町杵築南
墓地の脇を上がる。

民家の脇から勢溜へ出る。

新馬場通りへ帰る。

大社町杵築南
神門通りに出る。
大社町杵築東
勢溜に上がる。

勢溜の大鳥居

大社町杵築東
橋を渡り松の参道へ

銅鳥居を潜る。

出雲大社拝殿

大社町杵築東
出雲大社本殿

勢溜から神迎の道へ向かう。

神迎の道

大社町杵築東
越峠こえど荒神社


四つ角

大社町杵築東
四つ角

立小路を行く。

乗光寺山門

大社町杵築東
乗光寺本堂
大社町杵築西
浜四つ角

小さな社がある。

大社町杵築西
永徳寺坂を下る。

永徳寺坂下の大燈籠

初代燈籠の台座

大社町杵築北
稲佐の浜

弁天島
大社町杵築西
浜四つ角を北へ向かう。

大社町杵築北
往還は左へ、正面は養命寺

長い石段がある。

養命寺

大社町杵築北
養命寺前から西へ進む。

道路脇に石が祀られている。

路地を北へ曲がる。

大社町杵築北
路地の奥にある安養寺

安養寺

安養寺前を西へ、すぐ北へ向かう。

大社町杵築北
国道を渡り、奉納山入口

国道を西へ約70m行く。

往還は右へ入る。

大社町杵築北
角にある大歳社

大歳社

路地を西へ進む。

大社町杵築北
上の宮かみのみや(仮の宮)

上の宮

交差点角にある下の宮、往還は右へ。

大社町杵築北
下の宮

往還は北へ向かう。

屏風岩

大社町杵築北

鳥居の前を奥へ行く。

奥に長谷寺がある。

大社町杵築北
長谷寺本堂

御影堂

長谷寺前から日御碕への登山道がある。


登山道の案内標識
大社町杵築北
因佐いなさ神社鳥居

因佐神社


大社町杵築北
神社脇から道らしきものがある。

民宿「関屋」

大社町杵築南
一畑電車大社前駅


松江の歴史の道を歩く