歴史の道
旧山陰道(伯耆街道) 八幡町・武内神社前〜東出雲町下意東・素鵞神社




2020年10月24日(土) 歴史の道 旧山陰道(伯耆街道) 八幡町・武内神社前〜東出雲町下意東・素鵞神社

今回歩いたルート 歩いたルート(グーグルマップ) 資料から想定されるルート

八幡町(武内神社前)〜東出雲町出雲郷(阿太加夜神社)
 武内神社前の的場池の土手から下がって旧国道を南進します。しばらく、国道の東側を並進し町並みの中を進むと、左側に「安国寺」と刻まれた大きな石碑があり、左へ参道が伸びています。400mほど参道を入ると、寺がありますが、報告書にある「地蔵堂」は見当たりませんでした。安国寺は足利尊氏が後醍醐天皇の冥福を祈るために全国に建立したが、ここでは天平時代に創建された円通寺を改称して安国寺としたということです。松江藩主京極忠高の父の高次の供養塔が本堂の前にあります。
 安国寺を過ぎると道は右に曲がり旧国道に重なり東へ進むと、少し先に大門一里塚があったが、今は形跡もないという。この一里塚の59mほど先の右に小高い丘に亀井塚があり、共同墓地となっていて、日蓮宗の日信堂という建物が立っています。江戸時代に神事を犯し、急死した亀井某を弔い塚を築いたということです。
 さらに旧国道を進むと意宇いう川に架かった出雲郷あだかえ橋を渡り、橋から400mほど東へ進むと、右後方へ向かって参道があり、国道を渡ってさらに参道を進むと阿太加夜あだかや神社があります。出雲風土記に記載された神社であり、境内には風雨あめかぜ神社などがあり、荒神を祀ったタブノキの巨樹も並んでいます。また10年に一度行われる松江城山稲荷神社式年神幸祭(ホーランエンヤ)に使われる櫂伝馬船が境内に格納されています。また境内の公園には奈良時代に出雲守として赴任した門部王かどべのおおきみの歌碑があり、次の一首が刻まれています。「飫宇おうの海の河原の千鳥汝が鳴けば吾が佐保河の思ほゆらくに」

八幡町
県道東松江停車場線と交差する。
竹矢町
国道の東側を並進する。

左側の角に大きな安国寺の石碑がある。

竹矢町
参道の奥に安国寺がある。

安国寺

京極高次の供養塔

竹矢町
供養塔の説明文

鐘楼

安国寺参道前から南進する。

竹矢町
右折し旧国道に合流する。

合流した少し東に一里塚があった。

右前方に小高い墓地がある。

竹矢町
亀井塚

日蓮宗日進堂

意宇川の出雲郷橋を渡る。

東出雲町出雲郷
橋上から河口を見る。

旧国道を東進する。

右後方に向かって参道がある。

東出雲町出雲郷
阿太加夜神社と刻まれている。

少し入ると大きな石灯籠がある。

国道を渡って参道が続く。

東出雲町出雲郷
阿太加夜神社

阿太加夜神社拝殿

神社説明文

東出雲町出雲郷
ホーランエンヤ伝馬船

出雲守門部王の歌碑

東出雲町出雲郷
荒神が祀られるタブノキの巨樹



東出雲町出雲郷(阿太加夜神社賛同前)〜東出雲町揖屋(揖屋駅)
 阿太加夜神社参道入口から旧国道を東進します。参道入口から50mほど行ったところに、参勤交代の時に藩主が昼食をとった御茶屋が置かれたということですが、今では痕跡もないようです。さらに250mほど行くと左側に薬師堂がありますが、ここで道がかぎの手に曲がっていたようですが、今ではまっすぐな道になっています。薬師堂には「薬王閣」と書かれた扁額が掛かっていました。道路反対側の路地を南に入ったところに浄土寺があり、本尊阿弥陀如来の光背は七代松江藩主松平治郷に名工と認められた小林如泥の作になるということです。
 旧山陰道は旧国道と重なって東進し、県道東出雲馬潟港線と交差し、JR山陰本線の揖屋踏切を渡ると揖屋に入ります。踏切から500mほど進むと、左側に大内神社があります。この通りの町並みは、昔からの造り酒屋の建物があったり、街道の面影が残っている雰囲気です。
 旧山陰道は酒屋を過ぎたところあたりから、左斜めに大内神社の後を迂回するように通っていたそうです。大内神社は江戸時代には北を向いており、その前を通っていたそうで、今でも神社の後に路地が残っています。この神社は、大内義隆が尼子攻めに失敗し、退却の際に養子の晴持(義房)が揖屋灘で溺れて亡くなったが、地元で御霊を祀ったものだそうです。
 神社裏の路地を抜けて右折し旧国道へ出ると、旧山陰道は右前方の三菱マヒンドラ農機の敷地を斜めに横断したようです。会社の隣は前身の佐藤造機の創業者佐藤忠次郎の居宅跡で、今は記念館になっています。記念館の東側の路地を入ると、東に向かって道路があり、150m余り進むと、また旧国道に合流します。その先を右折すると、JR揖屋駅があります。

東出雲町出雲郷
御茶屋跡付近

左にある薬師堂

右へ少し入ったところの浄土寺

東出雲町出雲郷
浄土寺本堂

旧国道を東進する。

県道東出雲馬潟港線の交差点を渡る。

東出雲町出雲郷
この先で左へ踏切を渡る。
東出雲町揖屋
交差点を渡る。

酒屋の建物に古い町並みの雰囲気がある。

東出雲町揖屋
このあたりで左に斜めに入ったようだ。

大内神社、今は南を向いている。

東出雲町揖屋
大内神社説明文

神社の少し手前の道を北に入る。

すぐ右へ入る路地がある。

東出雲町揖屋
路地は大内神社の裏を通っている。

路地を抜けると右へ曲がって旧国道へ合流

 合流点から右前方の三菱マヒンドラ農機の敷地を斜めに通っていた。

東出雲町揖屋
右側に佐藤忠次郎記念館がある。

 三菱マヒンドラ農機の前身佐藤造機の創業者の旧居

記念館の説明文

東出雲町揖屋
記念館横の路地を入る。

民家裏に東西に道が伸びている。

民家の間に旧山陰道がある。

東出雲町揖屋
少し行くと旧山陰道は旧国道に合流する。

合流点を振り返る。左が旧山陰道

JR揖屋駅

東出雲町揖屋(揖屋駅前)〜揖夜神社
 揖屋駅前から旧国道を東進します。100mほど行くと三叉路の右の角にお堂があり、加奈堂と木札がかかっています。中には3体の地蔵尊が祀られており、ここで戦があったときの戦死者の供養のためのものだそうです。
 お堂から旧山陰道は旧国道と重なって町中を進み、100mほど行くと、元米子信用金庫揖屋支店の前を直角に折れ、市役所東出雲支所から来る広い道路と交差し、東へ向かっていきます。この交差点の南40mほどに2棟のお堂があり、手前が十王堂で、隣が子安観音堂です。
 交差点に帰り、東へ230mほど進み、市の原川に架かる宮の前橋を渡ると、右側に揖夜神社があります。神社の前には天保六年と刻まれた手水鉢や安政二年などと刻まれた石灯籠があります。この神社は出雲風土記や日本書紀にも載っており、祭神は大己貴命などです。本殿南脇には三穂津姫神社、北脇には韓國伊太氐神社があります。韓國伊太氐からくにいたて神社は出雲独特の神社で、朝鮮半島とのつながりを思わせるものだそうです。
 神社から南へ200m余り行ったところに東泉寺があり、松江藩主の尊崇を受けていたそうです。また境内には京都愛染寺から勧請された稲荷神社があります。

東出雲町揖屋
駅前から約100m、道路右側角にある加奈堂

加奈堂

三体の地蔵尊が祀られている。

東出雲町揖屋
旧国道を行く。

元米子信金の建物前を直角に曲がる。

十字路の南40mに2棟のお堂がある。

東出雲町揖屋
十王堂

閻魔大王はじめ十人の判官を祀る。

子安観音堂

東出雲町揖屋
観音堂の内部

旧国道へ帰り、東進する。

神社手前で、市の原川の宮の前橋を渡る。

東出雲町揖屋
右の小山に揖夜神社がある。

天保六年と刻まれた手水鉢

安政二年と刻まれた石灯籠

東出雲町揖屋
揖夜神社拝殿

本殿

南脇の摂社三穂津姫神社

東出雲町揖屋
北脇の摂社韓國伊太氐神社

神社から300mm南にある東泉寺

本堂

東出雲町揖屋
京都から勧請した稲荷神社



揖夜神社前〜東出雲町下意東(素鵞神社)
 揖夜神社前から180mほど進むと旧山陰道は旧国道から離れ北へ向かいます。今は住宅地の中の道路ですが、江戸時代には中海沿いの道だったようです。住宅地の中の道を900mほど行くと交差点があり、変則の5差路となっていて、右の奥の道を山手へ向かっていきます。この道を入り民家のあたりに神子みこ谷一里塚があったそうです。
 民家を過ぎると、広い道と交差するので、左折し神子坂と呼ばれる坂道を上がって行きます。旧山陰道は山の尾根を通ったようですが、新しい道路に切られて、今では山の中になっています。坂を少し上がったところで、左の竹林内へ入ってみると、わずかに旧道の名残りと思われる平坦な敷地が続いているように見えますが、やがて道路の法面で切られてしまいます。坂道の頂上あたりから、旧道が続いているようなので、調べてみると、細い踏み跡が斜面を上がっていました。踏み跡を上がると、山の中に広い道の跡がありました。道の手前の方は、思ったとおり新しい道路の法面で切られていました。
 山の中の道はまだあまり荒れてはおらず、はっきりと道が残っていました。50mほど進むと、右への分岐があり、確かめてみました。細い道が畑と竹藪の間を抜けて意東小学校へ下りていました。分岐まで引き返し、旧山陰道は直進しますが、分岐の右の角に塞の神が祀られていただろう、壊れた小さな祠と石灯籠がありました。
 山を出ると尾根の道は舗装された道となって、畑の脇を北へ向かっています。山を出たところからは、小学校の先に雲に隠れた大山が見渡せました。晴れていれば、きれいに中海や大山が見えることと思います。このあたりに御駕籠立場と水茶屋があったのではないでしょうか。
 畑の脇の道を進むと、右への分岐があります。地理院地形図の1960年代の空中写真を見ると、その分岐あたりから現在の道より東を、斜めに畑の中を下がって墓地の辺りに下りています。江戸時代の旧山陰道もそのように下がっていったと思われます。
 畑の中を下がった道は、揖屋と意東を結ぶ東西の道に出会い、右へ曲がって峠を越えて行きます。峠には墓地があり、下意東の集落へ向かって下って行くと、右手に西田堤(溜池)があり、道路反対側に素鵞神社があります。

東出雲町揖屋
神社前から旧国道を東進する。

200mほど進んで、旧国道を離れ左折する。

江戸時代は海岸沿いの道だった。

東出雲町揖屋
この先で右折する。

右折の道が2本あり、奥の道へ入る。

山へ向かって道が伸びる。

東出雲町揖屋
民家の辺りに神子谷一里塚があったという。

広い道に出会い、左折し神子坂を上る。

少し上がった左の林内に旧道が通っていた。

東出雲町揖屋
竹林の中に径の跡が残っている。

道路で切られている。

坂の頂上辺りから右の山へ上がる。

東出雲町揖屋
斜面を上る踏み跡がある。

上がると広い径がある。

手前は道路の法面で切られている。

東出雲町揖屋
広い径が峠に向かっている。

峠の手前に右へ分岐がある。

右へ進んでみる。

東出雲町下意東
畑と竹林の間を下がって行く。

意東小学校へ下りてきた。
揖屋
分岐に帰り直進する。右に塞の神がある。

東出雲町揖屋
塞の神が祀られている。


小学校の向こうに雲に隠れた大山が見える。

東出雲町揖屋
山を抜けると舗装されている。

畑の脇を進む。

耕地整理の前は斜めに畑の中を進んでいた。

東出雲町下意東
峠から中海の大根島や島根半島が見渡せる。

尾根から東西の道路に下りる。

下りた道路を東へ上がって行く。

東出雲町下意東
峠の墓地の脇を下意東集落へ下がる。

集落の手前の右に西田堤がある。

反対側に素鵞神社がある。

東出雲町下意東
林内に小さな社がある。




松江の歴史の道を歩く