旧山陰道(石州街道)
宍道町西来待小松〜宍道町伊志見一里塚



2020年12月9日(水) 旧山陰道(石州街道) 宍道町西来待小松〜宍道町伊志見一里塚

今日歩いたルート 歩いたルート(グーグルマップ) 資料から想定されるルート

旧山陰道 宍道町西来待小松〜白石(観音堂)
 西来待の小松踏切を渡って南へ70mほど入ったところの長源寺の前へ、線路を越えた旧街道が水田の畦道を通って出てきます。長源寺の前から南西方向へ進みます。調査報告書によると、長源寺には天保11年建立の一畑灯籠があるとありますが、年号の刻まれた灯籠は、境内には平成9年に再建された天保10年と刻まれた石灯籠しか見当たりませんでした。
 長源寺前から南西に向かっていくと、Y字の分岐の角に「天照大神」など5神の名を刻んだ社日碑が立っています。社日碑から直進すると林内へ向かっていきますが、その手前に鳥居が見えてきます。大国主神を祭神とし、出雲風土記にも記載のある宇由比うゆひ神社です。猪野大明神とも呼ばれ、以前は伊野谷の西側に祀られていたようです。神社前から緩やかな坂道(明神坂)となって、峠を越えると伊野谷へ下りてきます。
 南北に走る道と交差する右の角に、地蔵像が祀られていますが、元は少し北方の場所にあったものだそうです。ここから旧街道は谷の水田を斜めに横切って山際の径に向かい、旧国道へ出たようですが、今では耕地整理のため道はなく、南北の道を北へ進んで、旧国道を左折して西へ向かいます。
 白石へ向かう道は、もう一つのルートが考えられ、地蔵像から南へ400mほど進んで、山越えをしたルートが想定されるそうです。
 山の鼻を周った旧街道は、来待変電所、白石配水ポンプ場の前から坂道(いずれ坂)になります。この坂道の峠が西来待と白石の境界になり、峠を下ると白石本郷となります。谷へ出たところからは、左の山際をたどり、山の西側から旧国道沿いにある児童公園の脇に向かっていたようです。児童公園の向かいには細い路地が北へ向かい、左へカーブして元の旧国道へ合流しています。このカーブのところに地蔵堂があり、石造りの双体地蔵像と木像の地蔵像がありました。
 旧国道へ出た旧街道は、水田の中を斜めに同道川の岩海橋いわかいばしに向かったそうです。橋を渡ると正面の山の上に墓地があり、その登り口に六地蔵像と別の一体の地蔵像が立っています。
 この同道川の谷には高ノ宮神社や石宮神社、古墳群などがあり、早い時期からの遺跡が多く残っています。
 六地蔵から100mほど進むと、左の山手に観音堂があり、十一面観音が祀られているそうです。観音堂の前には地蔵菩薩1体、双体地蔵4基と小さな五輪塔1基が置かれています。
 観音堂の少し手前から北へ向かって小路があり、旧国道と直交して20mほど畑の中を行き、線路沿いに西へ向かったそうです。西へ向かって150mほどで、再び旧国道に合流すると、すぐに旧白石村と宍道村の境界になります。

宍道町西来待小松
水田の畦道から市道へ上がる。

市道から線路方向を振り返る。

長源寺の前から西へ向かう。

宍道町西来待小松
長源寺

天保十年の燈籠が再建されていた。

長源寺前から直進する。

宍道町西来待小松
Y字路の角に社日碑が立っている。

社日碑から直進する。

山へ入る手前に鳥居がある。

宍道町西来待小松
宇由比神社

拝殿

本殿

宍道町西来待小松
明神坂を越える。
西来待伊野谷
伊野谷の南北の道路に出会う。

T字路の角に地蔵像がある。

宍道町西来待伊野谷

田んぼを斜めに渡り、山際へ向かう。

山際に径がある。

宍道町西来待
旧国道へ合流

山の鼻をまわる。
宍道町白石
ポンプ場前からいずれ坂を越える。

宍道町白石
坂を越えると山際へ向かった。

山際の径を行く。

山際を周っていく。

宍道町白石
山際から道路へ出る。

道路へ出て中央の児童公園に向かった。

児童公園の脇に出てきていた。

宍道町白石
児童公園の向かいに小さな路地がある。

路地の角に地蔵堂がある。

宍道町白石
双体の石地蔵と、木像の地蔵像がある。

高ノ宮神社

宍道町白石
拝殿

本殿

石宮神社

宍道町白石
石宮神社

二体の猪石

拝殿

宍道町白石
御神体の犬石

地蔵堂前から斜めに水田を横切る。

橋の手前で左折する。

宍道町白石
同道川の岩海橋を渡る。

橋を渡ると墓地の下に六地蔵がある。

六地蔵と、他に地蔵像がある。

宍道町白石
六地蔵から約100mで、左に観音堂がある。


観音堂の内部、十一面観音を祀るという。

宍道町白石
堂前の地蔵菩薩、双体地蔵、五輪塔

観音堂手前の右側に路地がある。

旧国道と直交し、畑に入る。

宍道町白石
畑の中を150mほど線路沿いを進んだ。

旧国道へ合流する。

2020年12月23日 西来待伊野谷〜白石へのもう一つのルート
 西来待の伊野谷から白石へ越えるルートは、旧国道を通るルートが考えられていますが、他のルートも挙げられています。宇由比神社から伊野谷へ下り、南へ400m余ほど入ったところから西へ谷を入って山を越えるルートです。
 今回は逆に、白石の平井廻から伊野谷へ向かってみました。山へ向かっては舗装された狭い道が続き、山際の雨堤(溜池)の脇から無舗装の山径になります。径は管理されていて、歩きやすい径が峠まで続いていました。この峠は「月の子越し」と呼ばれているようです。峠を越えて西来待に入ると、径の跡は見えますが、太い笹の藪になって、通ることができませんでした。反対側の西来待の谷へ入ってみましたが、谷の奥は荒れ地になって、径らしきものも見えず、通ることは不可能でした。

白石
平井廻から伊野谷への山越えルート

山へ向かって舗装道路が伸びている。

雨堤(ため池)の脇を上がる。

宍道町白石
径が管理されている。

峠が白石と西来待の境
西来待
峠を越えると藪となり歩けない。

宍道町西来待
反対側の谷から入ってみる。

谷は荒れ地になっている。

谷の奥は荒れ地で歩けない。


旧山陰道 宍道町宍道(中学校前)〜宍道(佐々布川)
 旧国道へ合流した旧街道は、白石・宍道境から300mほど行ったところから元香ノ木踏切で線路を越えていたとされますが、今では踏切はなく、宍道中学校前の踏切から国道へ出ます。国道沿いに進むと、湖南石油のガソリンスタンドの先あたりの湖岸に宍道一里塚があったようです。
 一里塚から500mほど進むと、国道の左が岩山になります。今はコンクリート壁で覆われわかりませんが、「ちたれ岩」と呼ばれ、年中地下水がにじみ出ていたそうです。
 岩山を過ぎると国道から旧国道が左へ分岐しますが、この分岐の左の山際に半壊した地蔵像が置かれており、調査報告書にある「岩の一部分をえぐって地蔵をまつっている。」の地蔵なのかもしれません。旧街道は旧国道に重なっていますが、分岐から100mほど入ったところは、左の山沿いの民家の裏を通っていたようです。最初の半分くらいは通れませんが、途中で空き地を入ってみると、小高い場所に墓地(西方寺跡付近)があり、墓地の下から民家の裏に小路があり、旧国道へ続いていました。旧街道は西方寺の前を通ったということですが現在は西方寺はなく、西方寺跡の位置については、「宍道の町並みスケッチ」の図面に記載がありました。
 墓地と旧国道を挟んだ湖岸側には亀島神社があり、牛馬・船舶の守護神として近隣からの参拝も多かったようで、狛犬の寄進名には船の名前が刻まれています。また近くの街並みの中には、正定寺や氷川神社があります。正定寺には一畑薬師参詣の人たちが遭難した折りの供養地蔵が祀られています。また、氷川神社は明治3年に改称されるまでは祇園社と称され、京都祇園社を勧請されたもののようです。
 JR宍道駅前の通りと直交すると、旧本陣宿があり、享保18年(1733)に建築され小幡家住宅として重要文化財に指定されています。付近には御制札場、茶屋などがあったそうです。街並みには旧街道と直交する形で小路があり、小橋小路などと名前が残っています。
 さらに街並みを進むと、Y字形の分岐があり、「左 広島、右 大社」と刻まれた道標が立っています。左は明治期に作られた尾道街道で、少し手前の路地が近世の尾道街道になるそうです。旧街道は直進し、佐々布川に架かる嵐橋を渡って旧佐々布村に入ります。

宍道町宍道
中学校前を直進する。

約200m進んで、線路を越えていた。

国道へ出て安全地蔵像の横を進む。

宍道町宍道
線路は左へ曲がるが直進する。

国道から分岐し、旧国道を行く。

分岐の山際に半壊した地蔵像がある。

宍道町宍道
分岐から100mほどで山際を通っていた。

湖岸側にある亀島神社

拝殿

宍道町宍道
小さな本殿

船名の刻まれた狛犬

民家裏の墓地の下から道がある。

宍道町宍道
細い道がある。

路地を抜けると旧国道へ合流する。

旧国道の右側に仏像がある。

宍道町宍道
石造りの坐仏像

路地の奥にお寺がある。

正定寺

宍道町宍道
正定寺の海難供養地蔵

路地の奥に鳥居が見える。

氷川神社の参道

宍道町宍道
氷川神社

氷川神社本殿

JR宍道駅

宍道町宍道
小橋小路

本陣跡のある通り

小幡家住宅

宍道町宍道
小川橋を渡る。

明治期の尾道街道は分岐を左へ行く。

分岐にある道標「右大社 左広島」

宍道町宍道
分岐の手前にある近世の尾道街道

分岐から直進する。

佐々布川の嵐橋を渡る。


夫婦岩、妙岩寺、荻田五輪塔、丹部神社
 国道54号を南に入り、山陰自動車道の宍道ICの近くに妙岩寺があります。創建年代は不明ですが、延暦三年(1479)に曹洞宗に改宗しているそうです。本尊は歯吹はふき阿弥陀如来像で、口をわずかに開いて上下の歯が見えているそうです。また境内の石窟には十六羅漢像が安置されています。

 妙岩寺の近くの道路脇に五輪塔があり、「松江市所在の五輪塔・宝篋印塔一覧表」によると名称は「荻田五輪塔」とされ、「宍道町ふるさと文庫19」に、「室町時代に在地の土豪として記録の残る佐々布氏あるいは宍道氏に関わるものとも考えられます。」とあります。

 荻田谷を400mほど上がると、丹部たんべ神社があり、主祭神は、月夜見命つくよみのみことです。創立年代は不明ですが、杉の巨木をご神体にし、本殿はないとういう古い形式の神社です。
 「祭神が依り代として出雲大社のような社殿を求められた。氏子たちはとてもそのような求めには応じきれない。材料もないし費用も足らぬ。氏子連中はこう申し上げて納得してもらった。それでは大きな社殿を造るために杉の苗を植えてあげる。やがて大社さんより大きな宮居ができるにちがいないと。祭神はやっと納得して杉の若木に天降ったそうだ。」(歴史の道調査報告書)

宍道町白石
夫婦岩入口
白石
夫婦岩

宍道町佐々布
妙岩寺本堂

鐘楼

十六羅漢石像

宍道町佐々布
妙岩寺近くの荻田五輪塔


宍道町佐々布
丹部神社

神木は杉の大木

本殿はなく、神木を祭る。





旧山陰道 宍道町佐々布(佐々布川)〜伊志見
 佐々布川の嵐橋を渡ると、旧街道は線路を越え、旧国道から離れて南西方向へ進んで、丘陵へ上がったようです。今では線路があって通れませんが、線路と畑の間に道路幅の空き地が残っています。その続きは丘陵へ上がっていたはずですが、道路の崖で通ることはできません。近くの多根踏切を渡ると、すぐ急な坂道があり、その角に小さな祠があります。旧街道はこの祠の南を上がっていったようです。
 急坂を上がると国道54号線と交差し、向かいの鉄塔の脇に旧街道が続いています。径を入ると、竹林の中に墓地があり、その先には石積みに御幣が立てられ、その周りにもたくさん御幣が立てられていました。塞の神か荒神などが祀られたものではないでしょうか。宍道町歴史叢書に「・・現国道54号と直交する。途中の荒神ぐろが異色である。」と記されているものに該当するのかもしれません。

 さらに林内を進むと、開けた場所に出て、左へ上がっていく径がありますが、これは配水池に上がる径で、旧街道は直進し竹林内を進みます。竹林を抜けると見晴らしのいい場所に出て、斜面下には蔵敷集落があり、その先には昭和新田や宍道湖が見渡せます。その先には尾根を南に越える径があり、少し進むと3基の五輪塔が並んで立っています。五輪塔から林内を150mほど行くと、また展望が開けた場所に出て、簸川平野から宍道湖の展望が広がります。

 再び山中に入って進むと、鉄塔のある開けた場所に出て、径は左へ周って下っていきます。カーブの角の竹藪の中に径があり、旧街道は直進していたと思われますが、少し入るとガードレールがあり、県道宍道インター線で分断されていました。左へまわって下りると、インター線の消防署の脇に出てきました。

 この丘陵の山中の径は「蔵敷越くらしきごえ」と呼ばれ、昔の雰囲気がよく残され、開けた場所では簸川平野の全体と宍道町の町並み入口までが見渡せます。眼下には鉄道や国道が走っていますが、その北側は、かっては宍道湖が広がっていました。

 インター線で分断された旧街道は、20年ほど前に開発された緑が丘団地の北側の法面あたりを西へ進み、団地のはずれの交差点の手前でインター線に合流したようです。インター線の交差点の手前から細い道が右へ分岐し住宅地へ向かって下がって西進します。

 小さな江尻川を渡った旧街道は、荻田団地の進入路の北斜面の下を通って、東洋アイテックの敷地を横切って進んでいます。荻田団地の道路下の径は、水路のコンクリート製の蓋の上を歩いていきます。最後のところで、水路が分岐し、山際へ左折すると畑の中へ入ってしまいます。現在は直進してから、直角に曲がった道がつけられていますが、やはり、山際を通るのが自然な道のようです。

 東洋アイテックの駐車場入口の前から左の林内へ向かって小さな径があり、現在でも使われているようで、歩きやすい径が下がっていました。やがて県道宍道インター線で分断されますが、その向かいの竹藪に道路のフェンスが切れているところがあります。竹藪に入ってみると枯竹が倒れ込んでいますが、踏み跡が下がっているのが見えました。踏み跡は倒れた枯竹で通れませんが、その側を下がって行くと、民家の脇の通路に下りてきました。竹藪を抜けた旧街道は、小佐々布踏切からの南北の道沿いの民家横に出て、老人ホームの敷地を斜めに横切って線路を越えて行ったようです。

 線路を越えた旧街道は、旧国道を越え、国道の南側の水田の中を通って伊志見川を渡っています。伊志見川を渡ったところの左側に「伊志見一里塚」跡があります。一里塚は旧街道を挟んで北塚と南塚があり、それぞれに松の木が植えられていましたが、昭和30年代に両方とも消失したようです。一里塚からは南西に真っすぐ進み、100m弱で出雲市斐川町に入って行きます。

宍道町佐々布
嵐橋から線路を越え、丘へ向かった。

線路の南側の草地を進んでいた。

線路南側の草地

宍道町佐々布
草地から道路を越え、法面に上がっていた。

通れないので、少し先の多根踏切を渡る。

踏切を渡ると高い場所に祠がある。

宍道町佐々布
旧街道は祠の南(右)を通っていた。

今は祠の手前の急坂を上る。

国道54号を越え、鉄塔の脇から奥へ入る。

宍道町佐々布
墓地の下の径を山へ入る。

墓地の下にある地蔵像等

墓地の先に不思議な石積みと御幣がある。

宍道町佐々布
御幣のある付近全景

分岐を直進する。左は配水池へ上がる。

竹やぶの中を行く。

宍道町佐々布
開けた場所に出てきた。

蔵敷集落の向こうに平野が広がっている。

尾根を南に越える峠径がある。

宍道町佐々布
径端に3基の五輪塔がある。


五輪塔から林内を抜けると展望が広がる。

宍道町佐々布
宍道湖と簸川平野が広がっている。

林内を抜けると径が左へ下がっている。

直進の竹やぶに径が見える。

宍道町佐々布
竹林内の径の先にガードレールがある。

県道の法面で旧街道が分断されている。

径は県道宍道インター線の消防署脇へ出る。

宍道町佐々布
旧街道は道路を越え緑が丘団地を通った。

県道宍道インター線を下がる。

団地を通った旧街道は右の道へ分かれる。

宍道町佐々布
分岐を左へ行く。

西へ向かう。

江尻川を渡る。

宍道町佐々布
荻田団地入口

団地道路と民家の間に細い路地がある。

水路蓋の上を行く。

宍道町佐々布
水路が分岐し、畑に入る。

山際を通っていたと思われる。

宍道町佐々布
この先東洋アイテックの敷地を通っていた。

東洋アイテックの脇の道を上る。

東洋アイテックの敷地から出てくる。

宍道町佐々布
駐車場入口の辺りで山を下りていった。

竹林内の径を下がる。

県道宍道インター線で切られる。

宍道町佐々布
出てきたところを振り返る。

道路向かいのフェンス切れ目から山へ入る。

枯竹の中に踏み跡がある。

宍道町佐々布
枯竹で通りづらい。

民家の裏へ出てきた。

山から出たところを振り返る。

宍道町佐々布
民家脇に道がある。

道路へ出た。

出てきたところを振り返る。

宍道町佐々布
施設の敷地を斜めに線路に向かう。

このあたりから線路と旧国道を越える。
宍道町伊志見
国道左の水田を進む。

宍道町伊志見
伊志見川を渡る。

川を渡ると「伊志見一里塚」跡がある。

旧街道脇に北塚と南塚があった。

宍道町伊志見
一里塚跡の南を旧街道は進む。

両側に塚がある。
出雲市斐川町
民家脇に旧街道が続く。

出雲市斐川町
出雲市斐川町
三界万霊塔と地蔵像、不動明王像がある。

三界万霊塔から左へ曲がり、旧国道へ出る。





松江の歴史の道を歩く