歴史の道 枉北道(坂本町〜枕木町)




2019年4月17日(水) 歴史の道 枉北道(坂本町〜枕木町)
 坂本町の安養寺から農道の向かいに道があり、少し進むと民家の脇から東へ向かう径があります。民家の前を抜けると径は竹林の中へと進み、溜池(お里多池)の縁を通って行くと、溜池の水路で径が消えていますが、水路を渡っていくと、また径があり、すぐ舗装道路に上がります。道路の反対側にも山へと続く径があり、しばらく踏み跡がありますが、農道の法面で切られたのか、見えなくなってしまいました。法面に径がつけてあり農道に下りることができました。資料ではここから田んぼ(現在は荒れ地)を斜めに横切り、山を横断するようになっていますが、山は藪となっており、径はわかりませんでした。また山を抜けてから田んぼを横断して、丘へ上がるようになっていますが、この径も見つかりませんでした。

 農道から田んぼの脇の径が分岐し、丘を上がると市道へ出会い、民家の間の道を東進します。民家の間の道を進むと、資料にある「大門・小門の十字路」を通り、集落を抜けると水田地帯に出てきます。往還は北東へ向かい小高いとことにある墓地の近くを通り、二つの溜池の間を北上しているようですが、水田地帯は耕地整理がされて古い径は全くわからなくなっています。石浦池の脇から義王池の堤塘に上がり、溜池脇の藪の中の僅かな踏み跡を行くと、島大の農場に出てきました。

 農場の作業道を進むと、農道に出会い、その向かいに道が続いています。道を進み、T字路を右へ行くと、左に作業小屋があり、谷の奥へ径が続いていました。居合わせた人に話を聞くと、「これは昔の殿さん道で川部へ続いている。ただ途中で道が崩れ通れない。」とのことでした。
 作業小屋の奥から林内へ踏み跡が続いており、しばらく行くと確かに径が川に崩れ、その跡は急斜面になって楽には通れなくなっていました。川は小さいので、川に下りて対岸に上がり、狭いところで川を渡ると、また径が谷を上がっていました。峠付近で竹林に入って、すぐ右折すると、峠を越えて墓地の後を通って川部地区へ下っていきます。開けた畑へ出て、民家へ向かって右折する径もありますが、そのまま左へ周るように進むと、再び竹林に入っていきます。竹林に入るとすぐ左手に観音堂があり、その先に右へ下る径が竹林内にあります。径を少し下ると川部地区の市道へ下るので、本庄川を渡り、川に沿って上がります。

 川部地区の最奥の人家横から山へ入ると石地蔵の脇に道標が倒れており、左枕木山、右別所道と刻まれています。 道標から数m上がると径が分かれていて、まっすぐ谷に沿って上がると、はっきりとした踏み跡が続いており、じゃまになる枝も伸びていないので、溜池や鉄塔の管理道として使われていると思われます。溜池の縁を周って、尾根を越えて行くと、径が不明になってきますが、斜面の木の並びに沿って進むと、また踏み跡が現れました。谷に下りて小さな流れを渡ると、踏み跡が不明になりますが、正面の斜面に尾根に向かって斜めに上がっていく踏み跡が見えました。小さなピークを越えて進んでいくと、径の脇に1m以上ある立石がありましたが、何も刻まれていないようでした。立石の手前から右へ踏み跡があり、たどってみると鉄塔がありました。
 立石までもどり、まっすぐ行くと段差があり、その先は明るく開けた場所に出てきました。段々になった畑か水田の跡のようです。左にも分岐がありましたが、まっすぐ進んだ先に人家の屋根が見えるので、進んでみると、藪となってしまい径がなくなります。藪の脇から竹林内へ入ってみると踏み跡があり、矢竹が密生していますが、かき分けて歩ける状態でした。矢竹の藪を抜けると笹が多くなりますが、民家の裏を周って踏み跡が下がっていました。民家の人に聞くと、「車道は最近ついたものだが、祖母らは古い径を歩いて下がっていた。」とのことでした。山際の少し荒れた径を下がると、しばらくで現在の車道に出会いました。車道をしばらく歩くと左手に観音堂があり、その先で県道枕木山線出会い、少し上がると長海町へ下る越田坂こえだざかの分岐があります。

坂本町坂本中
安養寺前の農道を渡る。
民家の脇を東へ入る。竹林の中に径がある。

坂本中
お里多池の縁を行く。
溜池の水路で径が切られている。水路を越えると径がある。

坂本中
市道へ上がると向かいの山へ径がある。
林内に径がある。福原町
農道の斜面で径が途絶える。

福原町
農道の法面から下りる。
農道の法面を振り返る。資料では正面の山を越えるが径が不明。

福原町
農道から右へ分岐
田んぼから丘へ上がる。市道へ出る。

福原町
民家の間を東へ歩く。
資料の「大門・小門の十字路」を行く。

福原町
資料では左の墓地へ向かっている。
耕地整理がされ古い径は残っていない。石浦池の脇を北へ向かう。

福原町
田んぼの脇を北進する。
義王池の堤塘へ向かう。義王池脇の藪の中へ入る。

福原町
藪の中に踏み跡らしきものがある。
藪の中を行く。島大の農場へ出てきた。

上本庄町
農場の作業道を行く。

上本庄町
作業道から農道へ向かう。
農道を渡り、向かいの道へ入る。

上本庄町
T字路を右へ折れる。
車のところから左折する。作業小屋の脇から谷へ入る。

上本庄町
小屋の奥から林内へ径がある。
径が崩れている。

上本庄町
径が上がっている。
竹林へ入り、すぐ右折する。上本庄町川部
墓地の後を通る。

上本庄町川部
開けた畑へ出て、左へ行く。
竹林内へ入る。竹林内に観音堂がある。

上本庄町川部
観音堂
お堂の先から右へ下がる。

上本庄町川部
市道が見えてきた。
下りた場所を振り返る。分岐を右へ、本庄川を渡る。

上本庄町川部
山の上にNHKのアンテナ塔が見える。
川部地区の奥から径が分岐する。分岐手前の小高いところにお堂がある。

上本庄町川部
山への入り口に石地蔵がある。
元水道施設のフェンス横を上がる。石地蔵の脇に道標が倒れている。

上本庄町川部
左枕木山、右別所道とある。
分岐があり、左 殿さん道、右 別所道右の分岐を上がっていく。

上本庄町川部
 

上本庄町川部
池の脇を行く。
池の脇から斜面を上る。邑生町
尾根を越え、下がっていく。

邑生町
径が消え、斜面の木に沿って行く。
小川を渡る。斜面に細い道が上がっている。

邑生町
小さなピークへ上がる。

邑生町
径の脇に大きな立石がある。
立石の手前を右へ径がある。鉄塔があった。

枕木町
分岐へ帰り、直進する。
開けた場所で、径が分岐する。直進の先に家の屋根が見える。

枕木町
行き止まりから竹林へ入る。
矢竹の中に踏み跡らしきものがある。矢竹を抜け民家の後を周る。

枕木町
民家の先から古い径がある。
水路脇に径がある。現在の車道へ出た。

枕木町
観音堂がある。
県道枕木山線に出会う。旧県道との交点に地蔵堂がある。

枕木町
越田坂への分岐



枕木町〜忠山
松江の歴史の道を歩く