歴史の道「松江美保関往還」(持田公民館〜上本庄町)




2019年1月30日(水) 松江美保関往還(持田公民館〜上本庄町)
 持田公民館前から古い家並みの脇を進み、一度旧国道へ出て、100mほどで左折し路地を歩くと、平成ニュータウンの入り口の下東川津町の納佐へ出てきます。ここから北東へ路地を入って東へ進むと、田んぼの脇に壊れて頭部が欠けた石地蔵があります。さらに田んぼの中の径を進むと、径は左へカーブし、その先に1本の大きな樹が見えてきます。その大きな樹の下には数体の石地蔵が祀られていました。この径が昔からたくさんの人が往来していた名残りと思われます。大きな樹から東へと田んぼの中の径を行くと、小さな坂本川に出会い、橋もないため進めなくなり、対岸もはヨシなどが密生した藪となって、歩けそうではありません。右手の鉄塔の脇から旧国道へ出て、先へ周ってみることにしました。旧国道へ出て、70mほど行くと、左へ道があり、先程の行き止まった径の続きの場所へ出てきましたが、やはりヨシなどが密生し通れる状況ではありませんでした。そこから東側へは径が続いており、400mほど行くと坂本町香々廻で国道へ合流します。資料によると、ここから往還は国道を渡って、住宅と朝酌川の間を通るようになっていますが、竹藪や荒れた草地になっており、通れるような径は見つかりませんでした。
 国道を400mほど歩くと、左に細い路地があり、しばらく歩くと、福原町の旧国道と国道の分岐する場所に出てきて、旧国道を進みます。200mほど進んで左折し、500mほど北進すると澄水寺があります。澄水寺は以前は澄水山にあったものが、現在の長慶寺の境内に移されたということです。出雲三十三観音霊場の二十五番となっています。
 もとへ帰り、旧国道から少し入ったところから、東へ向かい朝酌川の小さな橋を渡って、300mほど田畑の中を進むと福原町の市営住宅の前に出てきます。ここから資料によると、往還は住宅の裏を通っていることになりますが、住宅の裏はすぐ山で、通れそうな径は見えないので、崖の擁壁の上を歩きました。集落の中ほどで、何かの施設と思われる建物の敷地に下りました。ここから先の山沿いには、広い径がありますが、これが往還の名残りなのかどうかはわかりません。径を下りたところは、島大の農場の入り口で、下りる手前に尼子十勇士の一人で白鹿城で活躍した、尼子晴久の妹婿松田左近将監の墓とされる五輪塔がありました。
 農場入り口から山崎堤の北岸を行こうとしましたが、池の縁は密生した藪が続き、歩くことはできませんでした。池の反対側から様子を見ようと周ってみましたが、東岸から西岸へ行く途中は堤防が切られた場所があり、そこに一本の丸木橋が渡してあるばかりで、渡ることはできませんでした。池の北岸の径は最近は人も通らないようで、荒れていました。
 民家まで引き返すと、道端に小さな地蔵堂があり、調べてみると編笠地蔵ということで、2018年12月に建て替えられたということです。ここから路地を北進し谷を周って進み、広い市道に合流し、700mほど東進します。今では、耕地整理が行われ田んぼの中を道が北東へ直進していますが、資料では往還は少し南へ振った方向、国道との交差点付近へ向かっています。ここから資料では、住宅地裏の山沿いを通っていますが、国道のバイパス工事で丘陵が開削され様子が変わってしまっているようで径がわかりませんでした。近くの畑で作業しておられた地元の人に聞いてみると、「上の墓地のあるところに、昔は本庄の熊野神社へ続く径があったようだが、今は通れるかどうかわからない。」とのことでした。木並集会所から国道を渡り、道路沿いの擁壁から墓地に上がると、墓地内の道から南東方向へ荒れ地をはさんで、径が続いていました。しかし、しばらく行くと、密生した矢竹のため径を確認することができませんでした。ここから南西に下って竹が刈られていて、畑の脇から市道に出ることができました。市道を南へ300mほど下がって行くと、熊野神社への参道へ出ました。ここから右へ折れると本庄町の町へ入りますが、今日はここまでとしました。

東持田町
持田公民館入口
下東川津町

下東川津町
一旦国道へ出る。
すぐに左折し路地へ入る。

下東川津町納佐
平成ニュータウン入り口
道路向の路地へ向かう。すぐに右折し、東進する。

下東川津町納佐
 
道路脇の壊れた石地蔵田畑の中の径を進む。

下東川津町
 
田の脇の径が左へカーブする。カーブの先に大きな樹がある。

下東川津町
大きな樹の先に東へ径が伸びている。
樹の根元に石地蔵が置かれている。

下東川津町
田んぼの中に径が伸びる。
坂本川で径が途切れ、先は藪になる。鉄塔の右脇から周る。

下東川津町
一旦国道へ向かう。
坂本町
川を越えた先も藪になっている。
東へ径が続いている。

坂本町
 
国道に並行している。

坂本町香々廻
一旦国道へ出る。
国道を越えると、藪になって径がない。福原町
400mほど先で左折し路地へ入る。

福原町
 

旧国道へ合流

福原町
左は澄水寺への道
左、澄水寺、右、長慶寺澄水寺観音堂

澄水寺
観音像
旧国道付近から東進する。朝酌川の橋を渡る。

福原町
田の脇の径を進む。
住宅地奥の山際を歩く。径はなく、崖の擁壁の上を進む。

福原町
 
擁壁の上を行く。上本庄町
宅地へ出てきた。

上本庄町山崎
更に山際の径を進む。
島大農場に出てきた。樹木の陰に松田左近将監の五輪塔がある。

上本庄町山崎堤の北側の様子

農場入り口から建物脇へ入ってみる。建物後ろから山崎堤へ続いている。上本庄町
池の縁は藪となって通れない。

池の反対側から入ると丸木橋で進めない。引き返す池の径は藪となっている。上本庄町
 

径がきれいになった。民家の脇へ続いている。上本庄町
民家の先の地蔵堂の脇から北進する。

編笠地蔵細い径を越える。上本庄町
広い市道に合流、東進する。

右、耕地整理後の直線の道へ進む。本庄川を渡る。上本庄町木並
事故防止観音の脇に石地蔵がある。

上本庄町木並
石の祠は首なし地蔵。
木並集落集会所の前に2体の石地蔵がある。

上本庄町木並
萬延元庚申と刻まれている。
集会所から国道を渡り左の墓地へ上がる。擁壁に墓地へ上がる径がある。

上本庄町
墓地内を進む。
墓地からの径から荒れ地へ入る。荒れ地の中に踏み跡がある。

上本庄町山本
畑の中を通って民家脇へ出てくる。
民家先の道を越えて踏み跡をたどる。密生した矢竹の藪になって進めなくなる。

上本庄町山本
下へ向かって矢竹が刈られている。
道路へ下りた所を振り返る。市道を南下する。

上本庄町

右へ進むと本庄町へ
左の奥に熊野神社が見える。



本庄町〜野原町
松江の歴史の道を歩く